
何かをしたかった20歳。
島根県立大学の学生の頃から、漠然とだが、何かしたい、経営をやってみたいという思いが込み上げていた。
そんな中、企業化スクールや講演会に足を運ぶ日々が続いた。
様々な場に行き、たくさんの人から話や思いを聞く中、 「自分には何があるのだろうか?」と必死に自分探しをしていた。 「自分のバックボーンは何だろうか?」
そう考え続けた時に浮かんできた答えが実家が営んでいた牛乳販売だった。
乳業で何かできないか?
日々考えていた時、ふと気になる言葉を思い出した。
それは、牛乳販売を手伝っている時にお年寄りから聞いた
「昔の牛乳が飲みたい・・」という言葉だった。
70代以上のお年寄りは、口をそろえて、 「紙パックの牛乳は本物じゃない。」という。
紙パックに入った牛乳が当たり前の洲浜にとって、気になる話。
「昔の牛乳、本物の牛乳ってどんな牛乳だろうか?」
その疑問は、何かをしたかった洲浜を突き動かし、 日本の本当の酪農を知る旅に出ることになる。
日本中の牧場、工場、生産加工場を視察する日々の中で、中には牛を劣悪な環境で育て、生き物とも思えぬ扱いをし、牛乳を搾りとる日本の酪農の現状を知ることになる。
本来、牛の寿命は18〜20年。
乳牛の寿命は3年〜5年。
牛→酪農家→集乳業者→製造メーカー→卸→小売→消費者と流通の間がたくさんあるのに、水より安い牛乳。 大量生産の裏側にある現実。
効率よく搾乳するために狭い牛舎の中につながれ、角と尾は邪魔だからと切り取られ、濃厚な牛乳を大量に搾り取るために自然の青草を食べさせず輸入飼料を食べさせられ、外に出たこともなく青空を見たことがない牛。
牛の乳はいつでも出るものだというイメージがないだろうか?
牛も人間も同じ。乳が出る時は子供が生まれたときだけ。
いつでも牛乳が出せる=いつも妊娠、出産を繰り返していること。 母牛の身体の負担は尋常ではない。
現実を知れば知るほど自信をもって売れない牛乳が嫌になった。
「本当にいい牛乳なんです!」と自信をもって言える牛乳を販売したい。
まず、洲浜が考えたことは、地元地域(日和)の牛乳を使った工場を作ることだった。
地元に工場を誘致し、地元の生産者が作った安心な牛乳を加工・販売する計画。 この計画の提案書をつくり、大手メーカーに直談判をしに向かった。
必死に工場を建ててもらえるようお願いしたが話はまとまらず、この計画は頓挫してしまう。それでも、本当に自信をもって牛乳を販売したいという思いは日増しに強くなった。
本当に安全で、昔ながらのやり方で自信を持って良いといえる牛乳作り。
生産者と消費者が直接つながる牛乳販売・・。
洲浜は、自らが生産者になることを決意した。
そんな中、企業化スクールや講演会に足を運ぶ日々が続いた。
様々な場に行き、たくさんの人から話や思いを聞く中、 「自分には何があるのだろうか?」と必死に自分探しをしていた。 「自分のバックボーンは何だろうか?」
そう考え続けた時に浮かんできた答えが実家が営んでいた牛乳販売だった。
乳業で何かできないか?日々考えていた時、ふと気になる言葉を思い出した。
それは、牛乳販売を手伝っている時にお年寄りから聞いた
「昔の牛乳が飲みたい・・」という言葉だった。
70代以上のお年寄りは、口をそろえて、 「紙パックの牛乳は本物じゃない。」という。
紙パックに入った牛乳が当たり前の洲浜にとって、気になる話。
「昔の牛乳、本物の牛乳ってどんな牛乳だろうか?」
その疑問は、何かをしたかった洲浜を突き動かし、 日本の本当の酪農を知る旅に出ることになる。
日本中の牧場、工場、生産加工場を視察する日々の中で、中には牛を劣悪な環境で育て、生き物とも思えぬ扱いをし、牛乳を搾りとる日本の酪農の現状を知ることになる。
本来、牛の寿命は18〜20年。
乳牛の寿命は3年〜5年。
牛→酪農家→集乳業者→製造メーカー→卸→小売→消費者と流通の間がたくさんあるのに、水より安い牛乳。 大量生産の裏側にある現実。
効率よく搾乳するために狭い牛舎の中につながれ、角と尾は邪魔だからと切り取られ、濃厚な牛乳を大量に搾り取るために自然の青草を食べさせず輸入飼料を食べさせられ、外に出たこともなく青空を見たことがない牛。
牛の乳はいつでも出るものだというイメージがないだろうか?
牛も人間も同じ。乳が出る時は子供が生まれたときだけ。
いつでも牛乳が出せる=いつも妊娠、出産を繰り返していること。 母牛の身体の負担は尋常ではない。
現実を知れば知るほど自信をもって売れない牛乳が嫌になった。
「本当にいい牛乳なんです!」と自信をもって言える牛乳を販売したい。
まず、洲浜が考えたことは、地元地域(日和)の牛乳を使った工場を作ることだった。
地元に工場を誘致し、地元の生産者が作った安心な牛乳を加工・販売する計画。 この計画の提案書をつくり、大手メーカーに直談判をしに向かった。
必死に工場を建ててもらえるようお願いしたが話はまとまらず、この計画は頓挫してしまう。それでも、本当に自信をもって牛乳を販売したいという思いは日増しに強くなった。
本当に安全で、昔ながらのやり方で自信を持って良いといえる牛乳作り。
生産者と消費者が直接つながる牛乳販売・・。
洲浜は、自らが生産者になることを決意した。
自ら生産者になることを決意したものの、今までは牛乳の販売の手伝いをしていただけで、酪農経験はまったくない。
もちろん家族も酪農経験はない。
どこかで酪農を学ぼうとしても、洲浜が目指す本当のやり方をしている酪農家がいない。
日本で廃れてしまった昔ながらの牛乳作りをする酪農家を探す日々が続いた。
ある時、昔ながらの「完全自然放牧」をしている牧場があることを知る。
たどり着いたのは島根から遠く離れた岩手県だった。
岩手県中洞牧場。
北国の大自然の中、完全に自然に暮らしている乳牛を見て衝撃を受けた。
牛が美しい。体格の立派さ。なんと、牛をつなぐ牛舎がない。
ただ広大な土地に数頭の牛が放牧されただけの完全自然放牧だった。
牛は自然とともに生きる。
ここでなにより驚いたことは、牛が人間に優しいことだ。 狭い牛舎につながれ、ただ搾乳される乳牛はそうならない。
ここの牛にストレスはないのだ。
完全自然放牧で育てられた牛の牛乳を飲んで驚いた。
「これは、牛乳じゃない!」
「昔の牛乳が飲みたい。パックの牛乳は本当の牛乳じゃない。」というお客様の声は本当だった。
完全自然放牧では、青草だけを食べて育つので、乳量は少ない。
また、牛が子供を作った時に乳をおすそわけしてもらうだけなので、通常の1/3しか搾乳できない。 しかし、その牛乳の味は、自然の四季の味がする。
例えば、夏場に運動した牛の牛乳を飲むと少し塩気のある味がする。
牛にやさしく、自然にやさしく、その自然と牛からおすそ分けされる牛乳は人間にもやさしい。
昔ながらの完全自然放牧。 これこそ自分が求めていた牛乳作りだ!
洲浜は喜びでいっぱいになった。
苦難の日々
ようやく見つけた昔ながらの牛乳作り。
洲浜は早速完全自然放牧に挑戦した。
うまくいくと思った完全自然放牧。
現実は厳しかった。
最初は、中洞牧場に相談しながら取り組むが、牛は病気になる。
治し方もわからず、みるみる弱る。
牛だけでなく青草を育てる土地は荒廃し、とうとう大切な牛を3頭死なせてしまった。 まったく歯がたたなかった。 東北の岩手県と島根県では環境が違う。
「頼っていてはダメだ。西日本だけの完全自然放牧のやり方をつくりしかない!」
と決意し、なにかヒントはないかと島根県で昔自然放牧をしていた方を探す日々が続いた。
牛の命と自然はまってくれない。
県内の酪農家を探している時、島根県大田市にかつて完全自然放牧をしていた岩崎牧場の方を知り合うことができた。
昔の方の知恵をかり、試行錯誤の中で西日本ならではの完全自然放牧のやり方が見えてきた。
ようやく、本当に自信をもって販売できる牛乳作りがはじまった。
本当の牛乳を広めたい
現在、牛は27頭になり、1日80リットルと少量ではあるが安定して牛乳を生産できるようになった。
完全自然放牧の牛乳を多くの方に味わっていただけるよう2005年に邑南町の香木の森にカフェmui(ミューイ)をオープンした。
ここでは、完全自然放牧の牛乳、その牛乳で作ったソフトクリーム、ジェラートを食べることができる。
また、邑南町で材料にこだわったケーキをつくっているアンダンテのケーキやコーヒーなどカフェメニューも楽しめる。
最近では、大田市のケーキ屋「にしこおり」でシュークリームにつかわれたり、レストランで使われるなどプロからの引き合いも増えてきた。
通信販売でも牛乳だけでなく、完全自然放牧牛乳を使ったジェラートやプリン、焼きキャラメルのソフトアイスクリームなどギフトセットも開発し、様々な形で自然の牛乳の味を楽しんでいただけるよう工夫を凝らしている。
牛、自然、人に優しい牛乳作りと健康的な暮らしをプロデュースすることを語る洲浜の笑顔は輝いていた。


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